熱中症
ベッドを背もたれ代わりに座っていたは、雑誌を閉じるとぐっと背伸びした。そのまま振り向けば、出水はまだ横になって漫画を読んでいる。最近映画化されたとかで、友達に借りたと言っていたものだ。はベッドの上に投げ出されているものから一冊手に取り、ぱらぱらと捲ってみた。出水が購読している週刊誌とは違う雑誌のコミックスのようだ。普段なら面白そうだとは思うが、今の気分ではない。小さく溜息を吐いて戻すと、うつ伏せに寝転ぶ出水の、ぴょんと跳ねた後頭部のくせ毛を睨みつけた。
互いの部屋を行き来するのは、幼馴染の頃から珍しくないことだ。中学に上がったあたりからは頻度もめっきり減ったけれど、付き合い始めてからはまた増えて、夏休みに入ってからはほとんど毎日一緒に過ごしている。
二人きりだからといって毎度べたべた触れ合うわけではないし、めいめい好きなことをして過ごすことも多くある。けれど今日のは虫の居所が悪いのか、どうにも出水の態度が許せなかった。ようは構ってほしくて仕方なかったのである。
今日、部屋に誘ったのは出水の方だ。暇なら来れば、なんて雑な言い方ではあったけれど、恋人を部屋に呼んだのだ。そのくせ恋人を放置して漫画を読み耽っているだなんて、こんなひどい話があるだろうか。
おもしろくない。
は腕組みしてむっと眉を寄せた。この状況を打開する案を考えているのだ。素直に構って欲しいと言うのは少し恥ずかしいので、できれば遠回しが良い。うーんと唸って、は先程まで読んでいた雑誌を思い出した。再び手に取り、ページを確認する。……よし、これだ。
は悪戯を思いついた子供のような顔で笑うと、散らばる漫画をベッドの飾り棚にまとめて、出水の隣にごろんと横になった。
「ねえねえ」
甘えるように声を掛ければ、出水からは「ん~?」と気の抜けた返事とともにちらりと視線が寄越された。しかし漫画を閉じるには至らず、すぐに視線は紙面に戻ってしまう。
「最近暑くない?」
「そりゃ夏だからな」
「暑いとさ、あれが心配だよね」
「あー、……熱中症?」
求めていた答えに、は思わずふふっと声をあげて笑ってしまった。察しの良い恋人で大変助かる。なにが面白いんだといった顔をする出水に、は更に機嫌を良くした。
これで準備は整った。は腕をついて上半身を起こすと、とびきりの笑顔で悪戯の仕上げを口にした。
「ねえ、それ、ゆっくり言ってみて?」
「……やだ」
出水はぴしゃりと言うと、ごろりと仰向けに体勢を変え、漫画の影に顔を隠してしまった。ぺらり、ページを捲る乾いた音が耳につく。
「うそお……」
のとっておきの悪戯は、あっけなく失敗した。
力なくベッドに崩れたは、肺の中身を全部吐き出すかのように長い溜息を吐いた。それから駄々をこねるような口振りで「公平のけち!」と詰り始める。
「ねえ言ってよ、一回だけでいいから! ね~え!」
「やだったらやだ」
「言ってってばあ!」
Tシャツの裾をぐいぐい引っ張って抗議すると、出水はようやく漫画を閉じた。枕に片肘をついて頭を支えると、もう片方の手をの頬に伸ばす。面白がるような顔で膨れた頬を指の背で撫でてから、親指でやんわりと下唇を潰した。
「キスしてほしいなら、素直に言えば?」
「…………う、」
が言葉を詰まらせると、出水は一層笑みを深くする。おまえの考えることなんてお見通しなんだよ。からかうような眼差しが、そう言っている気がした。
「い、いつから……」
「さあ?」
しらばっくれる出水に、の眉間のしわが深くなる。きっと「熱中症」を言わせた時にはもう分かっていて、漫画で隠した顔での悪戯を笑っていたに違いない。
恥ずかしさが顔に集まって熱を持つ。思わず顔を覆おうと手を持ち上げれば、出水は分かっていたとばかりにその手首を捕まえた。なにもかも読まれている気がして、はますます頬を膨らませる。
「ほら。キスしてください、だろ?」
得意げな恋人の顔が憎たらしい。いつも振り回されてばかりで、ちっとも勝てやしない。いつか、一度くらいは真っ赤な顔で撃沈する彼を拝んでみたいのに。
「……きす、してください」
せめてもの抵抗で目を逸らしながら降参を告げれば、「よくできました」なんて言葉とともに唇を塞がれた。手首を握っていた手が少し緩み、上へと滑って指を絡め取る。
本当はわたしからキス、してみたかったのにな。
愛らしい不満を口の中で転がしながら、はそっと目を閉じた。
Up:2019.07.02
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