偶像の崩壊
「今です!」
ウォンバットが短い前足を掲げて叫ぶと、五人はそれに応えるようにラブステッキを構えた。
「きらめけ、愛のルミエール!」
「ひらめけ、清冽なるアクア!」
「つらぬけ、雄々しきハリケーン!」
「とどろけ、怒涛のガイア!」
「ときめけ、烈火のイグニート!」
呪文が唱えられると同時に、五人の周囲はカラフルな光が満ち溢れる不思議な空間に包まれていた。ステッキの先端からはステッキと同じ色の光が放たれ、混じり合ってオーロラのようにキラキラと輝く。その光がステッキ同士を繋いで引き寄せ合うと、ステッキはふわりと宙に舞い上がった。
宙に舞う五つのステッキは、まるで意思を持つかのように迷いなく整然と一本に組み上がっていく。その光景を見つめる少年たちは一様に、幼い頃に見ていた戦隊モノの合体シーンを想起していた。しかしできあがるアイテムはといえば、女児向けアニメに登場しても違和感のないファンシーな代物だ。名をトゥルーラブステッキと言うが、その名で呼ばれたことはまだない。
頭上で組み上がっていくそれを見上げながら、ヴェスタはいつになく真剣な面持ちで口を開いた。
「なあ、今日は俺にやらせてくれねえか?」
「やるって、いつもの必殺技っすか?」
今までトゥルーラブステッキを扱ってきたのは、スカーレットだけ。それに異論を唱える者は誰もいなかったし、むしろ歓迎さえしていたくらいである。こんなことを言い出すのは、ヴェスタが初めてだった。
「あいつは俺が、最後まで決めたいんだよ」
驚きに瞳をぱちくりと瞬かせたスカーレットだったが、ヴェスタの真摯な表情を見ると、素直に頷きを返した。
「今日はヴェスタ先輩が一番活躍してたっすもんね。分かったっす!」
「おう、ありがとな」
完成したトゥルーラブステッキを手に取ると、ヴェスタはクマノミ怪人に向かってステッキを構えた。怪人は、覚悟を決めたように頭を垂れる。その表情はどこかホッとしているようでもあった。
戦意を喪失しきったクマノミ怪人に、ラブアタックは必要ないだろう。この怪人が今必要としているのは、愛という癒やしの力だ。
「ラブシャワー!」
ヴェスタは高らかに叫びながら、ステッキでハートを空中に描く。そのハートを打ち上げるようにステッキを持ち上げると、導かれるように桃色の光が空に登った。光は雨雲のようにもくもくと広がり、優しい光が穏やかに降り注ぐ。これこそが、彼らの持つ最大の愛の力。怪人の心を癒やし、元の姿に戻す浄化技だ。
降り注ぐ愛のシャワーが怪人を包み込み、冷たく凍えていた心を解きほぐしていく。淡い桃色に染まった光の中で、怪人がぼふんと破裂した。怪人化が解けたのだ。
薄桃色の煙の中から白い道着を身にまとった姿が吐き出され、地面にどさりと倒れ込んだ。
「……っ!?」
その人影を目に留めて――ヴェスタは言葉を失くした。瞬きもできなかった。ただその場に立ち尽くして、呆然とその姿を見つめる。
「まさか……」
隣のサルファーの呟きすら、ヴェスタの耳には届いていない。頭を強く殴られたような衝撃。現実感が失われていく。目の前の光景を、受け入れられない。
有基の変貌を目にした時よりもずっと、信じられない思いがした。ここにいるはずのない人間が倒れている。どうして。なんで。疑問符まみれの頭の中、ふっと浮かんだ声があった。
――今日会えるの、結構楽しみにしてたよ。
悲しみを吐き出すような声。伏せられた目。ぎゅっと胸が締め付けられる思いがした。違うと否定したかったのに、言葉が胸につかえて出てこなくて。
――でもお前は違ったんだな。
踵を返し、遠ざかる背中を追いかけられなかった。追いかけたとして、何を言えばいいのか、そもそも聞いてもらえるのかもわからなくて。
ヴェスタの脳裏に蘇ったのは、つい先程に味わった苦すぎる再会だ。
力の抜けたヴェスタの手から、ステッキが滑り落ちる。カラン、という乾いたその音に、ヴェスタはハッと我に返った。そして弾かれたように人影へ駆け出した。
「おい、あいつどうしたんだ?」
いつもなら我先にと引き上げるセルリアンだったが、今日ばかりは困惑を浮かべてヴェスタの様子を見守っていた。隣のエピナールも似たような面持ちで、怪人だった人影へ首を伸ばしている。しかし彼らの位置からは、丸まった白い背中しか見えない。
「先輩の知り合いっすか?」
そう問うスカーレットは、いつの間にか元の少年の姿に戻っていた。サルファーは驚いたように軽く目を瞠って、それからすぐに表情を沈ませた。
「ええ。おそらく、件の友人です」
その答えに、三人は納得したように顔を見合わせる。今まで遭遇した怪人たちは、せいぜいが誰かの顔見知り程度だ。しかしそれが友人、それもつい先程揉めたばかりの相手ともなれば、ヴェスタの狼狽も理解できる。誰からともなく、四人は揃ってヴェスタを追いかけた。
倒れている人物の前で立ち止まり、ヴェスタは小さく息を呑んだ。その人は、ヴェスタに背を向ける形で横向きに倒れていた。前髪で顔が隠れていてまだはっきりとは見えない――まだ別人の可能性を探っている自分に気付いて、乾いた笑いが漏れる。呼吸のために体がわずかに上下するのが、ひどく安心した。
確かめるのが、まだ少し怖い。それを振り切るようにひとつ深呼吸して、かたわらに膝をつく。首の下に片腕を差し込むと、もう片方の手で肩を手前に引き、仰向けになるように転がして抱きとめる。前髪が流れて顔が露わになった。くたりとヴェスタの腕に体を預けるのは……、もう間違えようがない。
だ。
「
……」
浄化の余韻がまだ抜け切らない様子の
は、呼びかけられても心地よさそうに瞼を閉じたままだった。頬についていた土をそっと払いながら、ヴェスタはぐっと唇を噛む。
「寝ているんでしょうか?」
「他の怪人も、しばらくはぼや~っとした感じだったもんね」
いつの間にか後ろに立っていたサルファーとエピナールが、眠る彼女を覗き込む。セルリアンはちらりと様子を伺っただけで身を起こした。
「ま、そのうち気が付くんじゃないか?」
「じゃあその前に黒玉湯の割引券、渡してもいいっすか?」
「そのうちじゃ困るんすよ! こいつと話すために怪人と戦ったのに! あとユモト、お前は後にしろ!」
「……はぁい」
どこから出してきたのか、既に割引券を用意していたスカーレットはしょぼんと肩を落とした。
「ですが、我々が変身を解く前に彼女が目を覚ましてしまうのは、少々問題では?」
「それはそうだけど……。でも、このまま放っておくわけにもいかねえよ。だいたいこいつ、今朝は体調悪かったらしいし。なおさらほっとけねーよ」
「そうですね。貧血気味だったようです。回復していたようですが、また悪化する可能性もありますし……」
険しい表情の二人に、エピナールは努めて穏やかに声をかけた。
「だったらとりあえず、保健室に連れてってあげたら? ここからあまり遠くないし、もう放課後だからベッドも空いてるんじゃないかな」
それを引き継ぐようにセルリアンが口を開く。
「だな。お前は変身解いて、そばに付いててやれよ。そいつが起きたら、貧血で倒れたとでも言えばいい。そんで鳴子は、一応空手部に声掛けに行っとけ」
「私ですか?」
「迷子のそいつを回収した時に顧問に引き渡したんだろ? 今頃あっちも心配してるはずだ。お前は一度会ってるし、話も早いだろ」
その提案に二人はしっかり頷いた。方針が決まってからの行動は早かった。
それぞれ散っていく彼らを見届け、残りの三人もほっとひと心地つく。セルリアンは小気味よい音を鳴らしながら首を一回しすると、深く息を吐き出した。
「とりあえず、部室に引き上げるか。今回は変に疲れたな」
「立の鞄、保健室に運んであげたほうがいいかな?」
「じゃあオレが持っていくっすよ。ついでに割引券入れとくっす!」
「私もお供します!」
「いや、ウォンバットは行かないほうがいいだろ」
「な、なぜですか!?」
ぞろぞろと部室を目指す彼らの後ろ姿を、三つの影が校舎の上からじっと見つめていた。
「うまくいくと思ったんですけどね、今回の作戦。怪人に選んだ女子、やけに強かったし」
「男同士の不毛な恋愛に持ち込むっていう前回から、物理的に女子だけにしてしまえって発想の素直さは、まあ置いておいて。確かにあの子強かったよね。二本も撃ち込んだ甲斐は、あったと思ったんだけど……。してやられちゃったねえ、またしても」
「やめろ。失敗は失敗だ、惜しんだところで意味はない。次に活かしてこそだ」
中央に立つ銀髪の男が冷淡に告げ、踵を返す。両脇に控える二人は大人しく口を閉じると後に続いた。リーダー格らしい銀髪の男に隠れるようにしながら、長髪の男が肩をすくめる。隣の男が宥めるように、垂れ目がちな目を細めて微笑んだ。
「次こそ……次こそは、必ず」
ぐっと拳を握りしめ、銀髪の男が低く漏らす。表情こそ冷静さを保っていたが、瞳は強い屈辱と怒りで染まっていた。
物陰で変身を解いた蔵王は、渡り廊下から校舎へ入っていった。ふと窓から外を覗けば、グラウンドはすっかり日常を取り戻している。何事もなかったように部活動に励むのは当然どこも男子生徒ばかりで、校門へ向かっているのも見慣れた黒いブレザーに揃いのズボンという眉難高校の制服姿だ。ほんの数分前に目の当たりにした阿鼻叫喚が、まるで嘘のようだった。
は相変わらず、蔵王の腕の中で心地よさそうに眠っている。……嘘のようと言えば、今この状況すべてがそうだと蔵王は思った。
中学以来の友達が女で、この頃になって現れるようになった怪人の一人がその友達で。そしてそいつが今、自分の腕の中で寝こけている。どこから突っ込めばいいのかさっぱりわからない。
そんな蔵王に追い打ちをかけるのが、怪人になっていた時の
の言葉だった。
――性別なんてなければ……!
あの怪人を放っておくことができなかったのは、
に対する罪悪感が胸の中にあったからなのか。それとも、どこかで正体に気付いていたのだろうか。
多分、両方なのだと蔵王は思う。仲違いした
の言葉と、あの怪人の叫びは、蔵王の中で深く共鳴していた。そして怪人の身軽な体捌きや鋭い蹴り技に覚えた既視感は、気のせいなんかじゃなかったのだ。
これまで何度か怪人と交戦した蔵王の印象として、怪人となった人間は必ずなにか悩みを抱えていたらしい。いかにして怪人が生み出されるのかはわかっていないものの、人の心の弱い部分や負の感情、有り体に言えば「心の闇」といったものを利用する敵というのは、ものすごくありがちだ。
だからこそ、蔵王には信じられなかった。あそこに
が倒れていたことが。
が、怪人なんかになってしまったことが。
蔵王の記憶の中の
は、強さに憧れ、また自分もそうあろうと己を律する人間だ。軟派な蔵王とはほとんど対極にあり、そして弱いという言葉から最も縁遠い人。それが
だったのだ。
そんな
にも弱いところがあるだなんて、蔵王は思ってもみなかった。誰にだって悩みの一つや二つ、あって当たり前なのに。考えたこともなかった。
は一度だって、そんな話を蔵王にしなかったから。
「俺……、お前のこと、何も知らないんだな」
何も知らない。だって性別も知らなかった。下の名前すら、今日初めて知ったのだから。
彼女を追い詰めてしまった原因のすべてが自分だなんて、そこまで自惚れるつもりはない。けれど一端を担ってしまった自覚はあった。引き金を引いたのは、きっと蔵王だった。
は、今日のようなできごとをずっと繰り返してきたのだろう。嫌になるくらい、何度も何度も。そんなことも、蔵王は知らなかった。付き合いも五年目になるというのに、知らないことが多すぎる。
「そういやいつも、俺が話してばっかりだったっけ」
デート相手には聞き役に回ることが多い蔵王だが、
の前では自然と逆の立場になることが多かった気がする。自分も案外話し好きなんだなと、一通り喋り倒してから気付くことも度々あったくらいだ。
は、とりわけ大人しいタイプというわけではない。蔵王ほど饒舌ではないものの、思ったことははっきりと口にする方だと感じていた。聴く部分は聴きつつも、はっきり意見を返してくれる。だから楽しかったし、気兼ねなく話せた。そんな
に、蔵王はずっと甘えていたのかもしれない。
「ごめんな。ほんとに……ごめん」
眠っている
は答えない。幸せそうな寝顔が、かえって蔵王の中の罪悪感を膨らませた。
何も知らなかった。そのせいで傷付けた。大切な友達だと、ちゃんとそう思っていたのに。
保健室の鍵は開いていたが、担当の教員は不在だった。他の生徒の姿もない。ホワイトボードを見てみると、「体育館にいます」とメモが残っていた。バレー部あたりで怪我人でも出たのだろうか。こちらはベッドさえ借りられればいいのだし、呼びに行く必要はないだろう。勝手に借りては怒られるかもしれないが、ベッドを借りる本人はここの教員の身内でもあるのだ。多分なんとかなるだろう。蔵王はそう結論付けて奥へと入った。
手近なベッドに
を横たえて、備え付けの掛け布団を被せる。そっと仕切りのカーテンを引いて、近くの椅子に腰を降ろした。
が起きる気配はまるでない。
穏やかな寝顔は、あの短い再会よりもいくらか幼く感じられた。廊下の角でばったり遭遇した時は、どことなく見覚えがあるとしか思わなかったが、今こうして見ると何で気付かなかったのか不思議になってくるくらいだ。出会った頃と、ほとんど変わってない。四年前、二人がまだ中学一年生の秋だった。
「そういえば、初めて喋ったのも保健室だったよな」
応えはないとわかっていて、蔵王は語りかけるように囁く。目の前の
を見つめながら、蔵王の意識はかつての記憶を辿って深く沈み込んでいった。